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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2871号 判決 1963年10月17日

原告 小山田拓之 外一名

被告 日商株式会社

主文

(一)  被告は、各原告に対し、それぞれ金四、一八五、〇〇〇円およびこれに対する昭和三四年五月三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

(三)  この判決は、各原告においてそれぞれ金五〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

(原告らの第一次申立)

(一)  被告は、各原告に対し、それぞれ金四、一八五、〇〇〇円およびこれに対する昭和三四年五月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ(主文(一)項同旨)

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言。

(原告らの第二次申立)

(一)  被告は、各原告に対し、それぞれ金三、五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三四年五月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言。

(被告の申立)

(一)  原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告らの負担とする。

(原告らの第一次請求原因)

(一)  原告らは、昭和二七年四月二日原告村本のために設定登録された別紙目録第一記載の各試掘権について、同年一二月二三日より共同鉱業権者となり、引き続き採掘転願により右鉱業権の鉱区の一部につき昭和三三年七月一五日設定登録された別紙目録第二記載の採掘権の共同鉱業権者となつた(以下、右目録第一、第二の両鉱業権を、単に「原告らの鉱業権」という。)

(二)  訴外栗駒鉱業株式会社、(以下「栗駒鉱業」という。)は、原告らの鉱業権の鉱区の西方に隣接する別紙目録第三記載の鉱業権の鉱業権者である。

(三)  ところが、栗駒鉱業は、昭和三二年六月から昭和三三年八月末までの間、原告らの鉱業権の鉱区内に侵掘し、その鉱区内の末尾添付図面中A、B、C、の各点を結ぶ線の東側である斜線部分、約二、〇〇〇平方メートルの地域にわたり、厚さ七メートルないし、一メートルの鉱層から、褐鉄鉱石少くとも七、〇〇〇トン、湿量トンすなわち鉱石中の含有水分を含む重量である。)を採掘した。

(四)  右七、〇〇〇トンの褐鉄鉱石は、鉱業法(昭和二五年法律第二八九号)第八条の規定により、採掘と同時に鉱業権者である原告らの共有に帰属したものである。

(五)  ところが、被告は、昭和三二年七月から昭和三三年九月までの間に、栗駒鉱業から、右鉄鉱石七、〇〇〇トンを買受け、さらにこれを、その頃、訴外富士製鉄株式会社(以下単に、「富士鉄」という。)に転売し、同社はこれをその頃、同社釜石製鉄所において製鉄処分した。原告らは、被告の右の行為により鉄鉱石七、〇〇〇トンの所有権を喪失した。

(六)  被告は当時原告らが被告に対し、栗駒鉱業の当時販売している鉄鉱石は、すべて原告らの鉱業権の鉱区から盗掘したものである旨を告げ、買入れ中止方を申し入れた事実もあつて、栗駒鉱業が、当時被告に売り渡している褐鉄鉱石が、すべて原告らの鉱業権の鉱区内から採掘したもので、従つて採掘と同時に原告らの共有に帰したものであることを了知し、少くとも通常の注意を払えばこれを了知することができたにも拘らずこれを怠り、且つ、被告は富士鉄に売却するときは、同社において、直ちに製鉄処分し、因つて原告らの鉱石の所有権を失わせるに至ることを了知し、または、少くとも通常の注意を払えば、これを了知できたにも拘らずこれを怠り、右のように原告らの鉱石七、〇〇〇湿量トンの共有権を喪失させたものである。

右原告らの抗議申入れの日時は左のとおりである。

(1)  本件の盗掘があつた昭和三二年以前の昭和二九年頃から、原告らと栗駒鉱業ならびに同社の鉱業権の前主である訴外鋼管鉱業株式会社との間に、その鉱区境について争いがあつたが、栗駒鉱業の代表者立川正は、昭和三一年一月、仙台通産局を動かして、原告らの鉱区と栗駒鉱業の鉱区との境界線を、約三〇〇メートル原告らに不利益に移動変更させる処分をさせた(この処分に対しては、原告らは、東京地方裁判所昭和三二年(行)第一一号の行政訴訟を提起して争つている。)ため、なお採掘場所について争いがあつた矢先の昭和三一年、被告が栗駒鉱業より褐鉱石を買入れるようになつたので、原告は、昭和三一年六月二八日到達の書面で、またその頃口頭で、被告会社金属部鉱石課員石井正弘に対し、叙上のとおり栗駒鉱業が不当な行政処分をさせて原告らの鉱区に属すべき鉱石を採取している事実を告げ、栗駒鉱業との取引の中止方を申入れた。

(2)  次いで、昭和三二年六月上旬、原告小山田は、原告らの鉱区の現地に臨み、栗駒鉱業が前記仙台通産局の表示変更処分による鉱区境界線を更に越え、明白に原告らの鉱業権の鉱区内に属する本件の盗掘を始めたことを発見し、直ちに、被告会社原料課長長谷川某に対し、口頭で、右盗掘の事実を告げて取引中止方を申し入れた。

(3)  昭和三二年九月二〇日、原告小山田は、被告会社製鉄原料課長代理飛木恒雄に対し、(2) と同趣旨の申し入れをした。

(4)  同月二四日、原告小山田は、訴外秦野保、同森田稔と同道のうえ、被告会社経理部管理課長田中豊一および同部次長小川百夫に面会して同趣旨の申し入れをした。

(5)  同月二七日には、原告らの代理人森田稔が被告会社の前記飛木課長代理に対し、同趣旨の申し入れをした。

(6)  同年一〇月八日、原告らの代理人秦野保は、被告会社の前記小川経理部次長に対し同趣旨の折衝をした。

(7)  さらに、原告小山田は、再三被告会社の前記小川経理部次長に対し、注意を促しまた、被告会社より本件褐鉱石を買入れた訴外富士製鉄株式会社本社購売部原料課長松田信、同課係長今井敬らに対し、被告に対する栗駒鉱業との取引停止方勧告を要請している。

(8)  以上のほか、昭和三三年に至り、原告小山田は、被告会社の前記小川経理部次長に対し二回警告を発したほか、同年九月二二日および一〇月一六日付の書面により、被告会社社長宛、同趣旨の抗議文を出した。

なお、被告の行為が、故意または過失によるものであることは、次の事実によつても明らかである。すなわち、

(1)  原告らの本件所有鉱石七、〇〇〇湿量トン(後述五、九五〇乾量トン)は、被告が栗駒鉱業より昭和三二年七月から、三三年九月までの間に買い受けた一〇、六四二・〇九乾量トンの半量以上を占め、被告主張のように単にその一部に混入していたものではなくかつ、被告は、前記原告らからの抗議にもかかわらず、二年余の長期にわたつて、栗駒鉱業との取引を継続したこと。

(2)  本件鉱区境は、明白な境界線によつて区切られており、これを誤つて侵掘するということはありえない。何故なら、本件鉱区境界は、前述の昭和二九年頃からの紛争を契機として、仙台通商産業局の係員が昭和三〇年一一月現地を実測したうえ、昭和三一年一月一七日、原告らの鉱業権の鉱区について表示変更処分を行つた結果設定された境界であつて、従来の原告と栗駒鉱業との境界紛争が、原告ら不満のうちにも一応落着した結果の境界であるから、両鉱区当事者間には明確な境界といえる。また、右表示変更処分による鉱区図は、紛争当事者である原告らと栗駒鉱業にそれぞれ一部宛仙台通産局長より送付されており、同図面によると本件境界線は採掘現場の通称朱沼(小沼ともいう)の中心と同図北辺に位置する須川湖の西湖岸とを結ぶきわめて明瞭な境界線であり、かつまた、本件の鉱石採掘は露天掘であるから、この鉱区図の読解、境界の判定はきわめて容易である。かような現場の状況からみて、被告にとり、栗駒鉱業の盗掘ないし侵掘の事実の調査はさして専門的技術を要するまでもなく、鉱区図と現地の地形とを検討することによつて容易にできたはずである。

(3)  更に、本件鉱石の取引においては、他の通常の商品取引の場合と異り、取引当事者(栗駒鉱業、被告、富士鉄)間に密接な関係が存する。すなわち、まず受入側たる富士鉄(本件鉱石の売鉱先は富士鉄の釜石製鉄所に限定されている。)の生産計画に従い、鉱区、鉱床、埋蔵量、品位等に関する現地調査を仰いだ上、その取引条件に合致すれば取引が開始され、被告は、富士鉄に対し、その年間計画に従つて継続的に毎月一定量の鉱石を出荷すべき義務を負うものであつて、この義務の履行のため被告は自らも鉱区鉱床の確認等の調査をし、栗駒鉱業と一体となつてその採鉱、搬出を促し、いわば共同稼行して鉱石を獲得しなければならない立場にある。従つて、本件のように紛争のあげく設定された境界線にまたがる鉱床の埋蔵量の調査に当つては、境界線の現場確認が調査の眼目となり、被告は境界線の所在、従つて昭和三二年六月以降採掘の鉱石が原告らの鉱区から採掘されたものであることを当然熟知し、または容易にこれを知りうる立場にあつたものであること。

(4)  更に、被告が原告らの抗議をあえて無視して取引を続けたのは、被告は、当時、栗駒鉱業の親会社である訴外宍戸鉱業株式会社に対し、金四、〇〇〇万円以上の貸付金の回収不能となつているものがあつたため、これを栗駒鉱業からの鉱石買受代金で回収しようとする目的があつたためである。

(七)  叙上の被告の行為により、原告らは鉱石の共有権を喪失したため、次のとおりの損害を受けた。

(1)  右褐鉄鉱石七、〇〇〇湿量トンを、鉱石価格算出の基礎となる乾量トン(鉱石を分析して、含有水分を検出し、この水分量を控除した重量のこと。)に換算すると、本件鉱石の含有水分は一〇%ないし一五%であるから、最大値の一五%をとつてこれを控除すれば五、九五〇トンに相当する。

(2)  当時、栗駒鉱業が盗掘し、被告に売渡した本件鉱石の平均品位(鉄分含有率をいう。)は五〇ないし五四%であつて、当時における品位五四%の褐鉄鉱石の釜石における販売価格は、一乾量トン当り金四、〇〇〇円であり、原告ら共有の右褐鉄鉱石五、九五〇乾量トンのトン当りの販売価格は、三、八九八円であつた。

なお、鉄鉱石は単価が安くて取扱数量がぼう大であるため、採算上、本件鉄鉱石の売鉱先は富士製鉄株式会社釜石製鉄所に限られていたものである。

(3)  しかして、当時すなわち昭和三二年七月頃から昭和三三年九月頃までの間における本件鉱石の採鉱経費、運賃等、釜石において販売するまでに要する費用は、一乾量トン当り二、四九一円であつた。

従つて、原告らが本件褐鉄鉱石の所有権喪失によつて失つた価値は、一乾量トン当り一、四〇七円であり、前記五、九五〇乾量トン(七、〇〇〇湿量トン)全部で金八、三七一、六五〇円である。

なお、販売までに要する一乾量トン当りの費用の算出基礎は次のとおりである。

(イ) 採鉱費(事務費その他一切の山元諸経費を含む)五〇〇円、

(ロ) 道路補修費(採鉱現場から国鉄十文字駅までの道路の維持補修費)一〇〇円、

(ハ) 運賃諸掛(採鉱現場から国鉄十文字駅までのトラツク運賃国鉄十文字駅から富士製鉄釜石側線において鉱石引渡までの鉄道運賃、日本通運株式会社の発送取扱料金、貨車積込料金等の合計)一、八九一円、

合計二、四九一円。

(八)  よつて、原告らは、各自、右損害金八、三七一、六五〇円の半額弱である金四、一八五、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三四年五月三日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(第一次請求原因に対する被告の答弁)

請求原因事実中、

(一)の事実はすべて認める。

(二)の事実も認める。ただし、栗駒鉱業は、昭和三二年一月三〇日から、原告主張の鉱業権の鉱業権者となつたが、同年七月一〇日これを訴外宍戸一人に譲渡し、同年八月一五日その譲渡登録を了した。宍戸一人は、さらに同年八月一九日、これを立川正および宍戸一人に譲渡して、同月二一日その譲渡手続を了し、右両名は、同年一〇月一日これを栗駒鉱業に売り渡し、同月一九日その譲渡登録を了したものである。

(三)の事実中、栗駒鉱業が昭和三二年六月から昭和三三年八月末までの間に、秋田県雄勝郡東成瀬村地内で、褐鉄鉱石少くとも七、〇〇〇湿量トン以上を採掘したことは認めるが、その他は全部否認する。

採掘の場所はすべて栗駒鉱業の鉱区内においてであつて、原告らの鉱区内ではない。

仮りに、原告らの鉱区内に侵掘したとしても、侵掘範囲、侵掘量についての原告の主張は否認する。原告主張の七、〇〇〇トンの一部は原告らが自ら採掘したものである。

(四)については争う。

(五)の事実中、被告が原告主張の期間内に栗駒鉱業から、褐鉄鉱石七、〇〇〇湿量トン以上を買い受け、これを更に富士製鉄株式会社に転売し、同社が、これをその頃、釜石製鉄所で製錬処分したことは認めるが、その他は否認する。

(六)の事実中、被告が昭和三二年七月から昭和三三年九月までの間に栗駒鉱業より合計一〇、六四二・〇九トン(乾量トン)の鉄鉱石を買入れたこと、原告らが被告の栗駒鉱業からの褐鉄鉱石の買い入れについて抗議を申し入れたことがあることは認める(ただしそれは昭和三三年九月以後のことである。)が、その他は否認する。

叙上のとおり、被告が栗駒鉱業から買い受けた鉱石は、すべて栗駒鉱業が自身の鉱区から採掘したものである。

仮りに、その一部に原告らの鉱区から採掘したものが混入していたとしても、被告は、その全部が栗駒鉱業の鉱区から採掘されたものと確信して買い受けたものであり、このように確信したことについて被告に何らの過失もない。従つて買い受けと同時に被告はその全部について所有権を取得したものであるから、他人の鉱石を処分したことにはならない。

また仮りに、被告が所有権を取得しなくても原告らの所有する鉱石をそれと知らずに権限なくして処分したことについて、被告には過失がない。すなわち、栗駒鉱業は、鉱石の採掘および販売を業とする会社である。この会社が他人の鉱石を販売し、被告がこれを買い受けたとしても、それはいわば公の市場において購入したものであるから被告に不法行為上の故意過失の責任がない。

(七)の事実はすべて争う。

被告が栗駒鉱業から買い受けた褐鉄鉱石の品位は五〇パーセントであり、当時におけるその価格は、山元(国鉄十文字駅)貨車乗り一乾量トンにつき、昭和三二年七月から昭和三三年三月まで金二、七〇〇円、同年四月から同年九月までは金二、六〇〇円であつたものであり、右全期間を通じては山元置場における価格は、被告が栗駒鉱業より買い受けた鉱石一〇、六四二・〇九乾量トンにつき総計二〇、二九八、〇九四円であつた。

なお、原告らの損害額とは、鉱石の埋蔵状態における価格に相当するものである。しかして、山元置場における右鉱石の販売価格は右のとおりであるが、山元置場で販売するまでに、右鉱石には莫大な直接採鉱費(人夫賃、道路補修費、材料費、現場事務費、材料設備減価償却費、敷地借受料等)、間接費(営業費、間接人件費、公租公課等)を要したものであつて、埋蔵状態における右の鉱石の価値はきわめて低廉なものである。

(八)も争う。

(原告らの第二次請求原因)

(一)  仮りに、原告らの第一次申立が認められないとしても、被告は、原告らに対し、第二次申立記載どおりの不当利得返還の義務がある。すなわち、

(二)  被告は、昭和三二年七月より昭和三三年九月までの間に、栗駒鉱業より褐鉄鉱石一〇、六四二・〇九乾量トンを、代金二〇、二九八、〇九四円で買い入れ、これをその頃、訴外富士鉄に、金四一、四八二、七〇五円で売却し、転売差額金二一、一八四、六一一円を得た。

(三)  しかし、被告が栗駒鉱業より買い入れた鉱石一〇、六四二・〇九乾量トンのうち、少くとも五、九五〇乾量トンは、栗駒鉱業が当時、原告らの鉱業権の鉱区内の前記第一次請求原因(三)記載の場所より盗掘したものであるから、鉱業法第八条の規定により右鉱石は採掘と同時に原告らの共有に帰したものである。

(四)  従つて、被告は、原告らの財産である右鉱石五、九五〇乾量トンを栗駒鉱業より買い入れ、これを訴外富士鉄に売却することにより、後記(五)のとおりその転売利益金七、三六四、四九八円を何ら法律上の原因なく不当に利得したものであり、原告らは、被告の右所為により第一次請求原因(七)記載のとおり金八、三七一、六五〇円の損害を受けた。

(五)  しかして、被告が前記一〇、六四二・〇九乾量トンによつて得た転売差額金二一、一八四、六一一円のうち、右原告らの共有に帰した鉱石五、九五〇乾量トンの転売差額は金一一、八六四、四九八円に相当し、その間被告が右鉱石五、九五〇乾量トンにつき要した営業経費は最大限金四、五〇〇、〇〇〇円であるから、その純利益は七、三六四、四九八円である。

(六)  よつて、原告らは被告に対し、被告の利益の現存する金七、〇〇〇、〇〇〇円の限度で、第二次申立記載のとおり、各自その半額である金三、五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和三四年五月三日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(第二次請求原因に対する被告の答弁)

請求原因事実中、

(一)は争う。

(二)の事実中、被告が昭和三二年七月から昭和三三年九月までの間に栗駒鉱業より褐鉄鉱石一〇、六四二・〇九乾量トンを買い受け、これを右期間中に全部、富士鉄に売却したことは認めるが、その他は否認する。

(三)の事実はすべて否認する。すなわち、原告主張の鉱石五、九五〇乾量トンについても栗駒鉱業は、すべて自己の鉱区内において採掘したものであるから、被告が栗駒鉱業から買い受けた右の一〇、六四二・〇九乾量トンの鉱石には、原告ら所有の鉱石は全然含まれていなかつたものである。

(四)および(五)の事実中、被告が栗駒鉱業から、鉱石五、九五〇乾量トンを含む一〇、六四二・〇九乾量トンを買い受けたことは認めるが、その他はすべて否認する。

被告が栗駒鉱業から買い受けた鉱石は、すべて栗駒鉱業の鉱区内で採掘されたことは叙上のとおりであるから、被告が原告らの財産により利得を受けたこともなく、原告らが損失を受けたものでもない。

仮りに、原告らに損失があつたとしても、その額については、原告らの第一次請求原因(七)に対する答弁のとおり、これを争う。

また仮りに、被告に不当利得があつたとしても、その額は、金五九五、〇〇〇円にすぎない。すなわち、被告と栗駒鉱業との、当時の本件鉱石の取引については、受渡場所を買主指定置場渡(実際は山元渡)、代金支払方法は、受渡と同時に契約単価により概算払をなし、国鉄釜石側線における富士鉄の検収数量により精算する、との特約があつた。そこで被告は、右鉱石代金二〇、二九八、〇九四円のほか、山元から釜石側線までの鉄道運賃、貨車積込料、取扱手数料、山出し集貨料等を、被告と訴外日本通運株式会社との契約により、被告において負担し、合計二〇、一二〇、四〇〇円を右日本通運株式会社に支払つたものである。従つて富士鉄への売却代金四一、四八二、七〇五円から、右栗駒鉱業からの買入代金および右の運賃諸掛を控除した額が、被告が鉱石一〇、六四二・〇九乾量トンに関する富士鉄との総取引によつて利得した額であり、これを原告ら主張の五、九五〇乾量トンに割り振れば、金五九五、〇〇〇円(一〇〇円以下切捨)の利得となる。この点に関する被告の購入数量、その価額、運賃諸掛、転売価額、被告のマージン等の明細は、別表取引明細記載のとおりである。

(第二次請求原因に対する被告の法律上の主張)

本件において、仮りに、原告に損失があり、被告に利得があるとしても、原告らの損失は、直接には栗駒鉱業が原告らの鉱区内から鉱石を採掘したことによつて生じたものであり、被告の利得は栗駒鉱業より鉱石を購入し、これを他へ転売した際の差益によつて生じたものであるから、右の鉱石が同一のものであるとしても、両者の間に直接の因果関係はなく、第三者である栗駒鉱業の行為が介在している。

しかして不当利得論においては損失と利得との間に「直接」の因果関係を必要とし、直接の財産移転をもつて右にいう「直接」と解すべきであるから、本件においては不当利得とならないものである。

(第二次請求原因に対する被告の仮定抗弁)

仮りに、被告が栗駒鉱業から買い受けた鉱石の一部に、原告らの鉱区から採掘したものが混入していたとしても、被告は、その全部が栗駒鉱業の鉱区から採掘されたものと信じて買い受けたものであり、このように信じたことについて何らの過失もない。従つて、買い受けと同時に被告はその全部の所有権を取得したものであるから、不当利得を理由とする原告らの第二次請求は失当である。

(被告の仮定抗弁に対する原告らの答弁)

被告の仮定抗弁事実はすべて否認する。

その詳細は原告らの第一次請求原因(六)に述べたとおりである。

(証拠関係)<省略>

理由

(一)  原告らが、昭和二七年一二月二三日より、別紙目録第一記載の各試掘権の共同鉱業権者であり、昭和三三年七月一五日からは右各試掘権の鉱区の一部について設定登録された別紙目録第二記載の採掘権の共同鉱業権者であること、栗駒鉱業が、右原告からの鉱業権の鉱区の西方に隣接する別紙目録第三記載の鉱業権の鉱業権者であること、栗駒鉱業が昭和三二年六月から、三三年八月末までの間に、秋田県雄勝郡東成瀬村地内で、褐鉄鉱石少くとも七、〇〇〇湿量トン以上を採掘したこと、

については当事者間に争いがない。

(二)  (栗駒鉱業の侵掘の事実)

成立に争いのない甲第一号証、(原本の存在とも)、同第六、七号証、第一五ないし第一七号証、第二〇、二一号証の各一、二、乙第一号証の一、二、同第七号証、同第八号証、証人木村武雄の証言、証人須見勉の証言(第一、二回)の一部(後記採用しない部分を除く)、原告小山田本人尋問の結果ならびに検証の結果を合わせ考えれば、次の事実が認められる。

栗駒鉱業は、訴外鋼管鉱業株式会社(以下単に「鋼管鉱業」という、)より、秋田県試掘権登録第一七、五五一号(六四八〇アール)の鉱業権の譲渡を受け、昭和三〇年七月一五日付で譲渡登録を了し、そのご、採掘転願により、昭和三二年一月三〇日、別紙目録第三記載の鉱業権(採掘権)の鉱業権者となつた。ところで、前記原告らおよび鋼管鉱業ないし栗駒鉱業の鉱業権(試掘権)の鉱区、ことに須川湖から大仁郷沢にかけての鉱床の帰属については、現地の地形と両者の鉱区図との不一致から、重複する部分があつたため、すでに昭和二九年頃より、原告らと鋼管鉱業ないし栗駒鉱業との間に紛争があつたところ、これを契機に仙台通商産業局長は両者の鉱区境を明確にするため、昭和三一年一月一七日付で、職権により、鉱業法第六一条の規定に基いて原告らの前記各試掘権の鉱区の面積、境界について表示変更処分を行い、鉱区図を更正したので、原告らは、この処分が、自分らの鉱業権の鉱区内に属すべき仁郷沢およびその一帯の鉱床を、栗駒鉱業の鉱区に帰属させた違法な処分であるとして、同年一月二八日、通商産業大臣に異議申立を行つて争うことになつた。しかして、右表示変更処分により定められた原告らの鉱区と、栗駒鉱業の鉱区との境界は、須川湖の南東方に位置する通称朱沼(須川湖を朱沼と表示する図面もあるが、本判決では「朱沼」とは右の湿地帯たる地域を指し、須川湖の意味では用いない。)の部分において、ほゞその中央を、北西ないし北々西から南東ないし南々東に向け別紙図面中A、B、Cの各点を結ぶ線を通過するものであるが、栗駒鉱業は、別紙図面中、右の境界線を越えて原告らの鉱区内約二、〇〇〇平方米へ斜線部分)にわたり鉄鉱石を侵掘した(栗駒鉱業の鉱業権につき、当時の登録原簿上の鉱業権者の推移にかかわらず、栗駒鉱業が採掘したことは当事者間に争いがない。)。

以上の通り認められる。証人須見勉(第二回)、同青山原次郎、同田口克昭、同小森経明(第一、二回)の証言中、右の認定に反する部分は当裁判所の採用しないところであり、その他右認定を覆すに足る証拠はない。甲第五号証にある面積は証人椎川誠の証言によると、鉱量算定のための面積であり、必ずしも原告の鉱区内に入つて堀つた面積と一致するものでないことがうかがわれるのでこの存在は右認定を左右するものではない。

(三)  (侵掘量)

成立に争いのない甲第一二号証、同第一九号証、同第二〇号証及び第二二号証の各一、二、証人椎川誠の証言により成立の認められる甲第五号証原告小山田本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる同第一一号証(これが採掘現場の写真であることは当事者間に争いがない。)に、証人椎川誠、同青山原次郎の各証言、証人須見勉(第一、二回)、同田口克昭の証言の各一部(後記各信用しない部分を除く)、原告小山田本人尋問の結果、ならびに検証の結果を総合すれば、

本件の通称朱沼部分においては、レンズ状の鉱床が原告らおよび栗駒鉱業の両鉱区にまたがり、ほゞ西北方から南東に向つて伸びており、レンズ状の中心部、最も厚い部分は、前記境界線より東寄り(原告らの鉱区寄り)に位置する。

栗駒鉱業は、朱沼の鉱床を昭和三〇年六月頃から採掘しはじめ、沼の北側から鉱床の伸びに従い、順次南ないし南東方向へと原告らの鉱区との境界に向つて掘り進んだ。昭和三二年春から翌三三年八月末までの間栗駒鉱業が稼働したのは右朱沼部分のみであつたが、昭和三二年六月上旬原告小山田が現地に臨んだ時、栗駒鉱業はまさに採掘のため本件境界の前記B点付近から東方原告らの鉱区に向けて積雪を融かしていたのであり、栗駒鉱業が原告らの鉱区に侵掘したのは右昭和三二年六月上旬以後三三年八月末までのことである。しかして、昭和三二年六月から三三年八月末までの間、栗駒鉱業の採掘した鉱石は、昭和三二年七月から三三年九月までの間に、殆んど全量が被告を経て富士鉄へ売却されているが、その量は一〇、六四二・〇九乾量トンである(右の期間中に栗駒鉱業が右の数量の鉄鉱石を採掘し、これを被告が購入して富士鉄に販売したことは、当事者間に争いがない。栗駒鉱業の採掘と、被告がこれを買受け、富士鉄に転売し、同社釜石製鉄所側線において鉱石を引渡す時の間にはほゞ一カ月のズレがある。)。

そして椎川誠の鑑定書(甲第五号証)によると、採掘鉱量は、五、五〇二トンと推定しているが、これは、同証人の証言によると、鉱石の比重を二、三にしているためで、褐鉄鉱の比重は学術書によると二、七乃至四、三となつていると言うのであるから、二、七乃至四、三の比重の平均の三として計算してみると、採掘鉱量は七、一七七トンになることが判る。成立に争のない甲第二〇号証の一、二の測量図と検証の結果によると侵掘面積は二、〇二三・七八平方米とあり、甲第五号証によると九九〇平方米となつているが、これは前認定の通り測量図は侵掘部分全部を測量したものであり、鑑定書は鉱量を測定するを目的としたことによりその範囲に異動を生じたものと推認される。従つて右面積の相違は侵掘鉱量には影響のないものと認められる。右認定事実に照らせば、栗駒鉱業が昭和三二年六月から三三年八月末までの間に、前認定の原告らの鉱区から侵掘した量は、原告主張どおり、約二、〇〇〇平方米の範囲から少くとも七、〇〇〇湿量トンを下らないものと推認するのが相当である。

被告は右七、〇〇〇トンの鉄鉱石の一部は原告らが自ら採掘したものであると主張するところ、なるほど前顕各証拠によれば、栗駒鉱業が昭和三三年八月末に採掘を停止した際、現場になお約三〇〇トンの既掘鉱石が残つており、その後原告小山田も自ら自己の鉱区中朱沼の東北端部分二〇平方米足らずの部分から約三〇〇ないし四〇〇トンを採掘したことが認められるけれども、これは原告小山田本人尋問の結果によるも前記富士鉄へ売却された一〇、六四二・〇九乾量トンとは関係のないものであつて、何等前記認定を左右するものではない。証人須見勉(第二回)、同田口克昭、同小森経明(第一、二回)の証言中右認定に反する部分は措信せず、その他右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(四)  (侵掘された鉱石の所有権の帰属)

右栗駒鉱業によつて侵掘された少くとも七、〇〇〇湿量トンの鉄鉱石は、鉱業法第八条の規定により、その採掘と同時に、鉱業権者(昭和三三年七月一四日までは試掘権、翌一五日以後は採掘権の)である原告らの所有となつたことが明らかである。

(五)  (被告の行為の違法性および故意過失の有無)

次に、被告が、昭和三二年七月から、三三年九月までの間に、原告らの所有に帰した右七、〇〇〇湿量トン以上の鉄鉱石を栗駒鉱業から買い受け、これをその頃富士鉄に転売したことは前記判示のとおりであり、富士鉄はその頃、右の鉄鉱石を釜石製鉄所において製鉄処分したことについては当事者間に争いがない。

そこで本件における被告の行為の違法性、ならびに被告の故意過失の有無について判断する。

前顕甲第一号証、乙第一号証の二、成立に争いのない甲第二、三号証、同第八号証の一、二、同第一三号証の一ないし三、同第一六号証、証人小森(第二回)の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第二三号証の一、二、証人森田稔、同桑村剛次郎、同小川百夫の各証言、原告小山田本人尋問の結果及び検証の結果、証人中村満一、同田口克昭、同小森経明(第二回)、同須見勉(第一、二回)、同武田正の各証言の一部(後記信用しない部分を除く)を合わせ考えれば、次の事実が認められる。

(1)  原告らは、昭和二七年四月、本件両試掘権の設定登録後訴外宍戸鉱業株式会社(以下単に「宍戸鉱業」という。)を鉱業代理人に選任した。同会社は、原告らの鉱区中まず岩手県一関市所在の須川温泉に近いいわゆる第一現場の採掘に当り、昭和二九年頃より本件朱沼部分の採掘準備にとりかかつたところ、右原告らの鉱区に隣接する秋田県試掘権登録第一七、五五一号鉱区の鉱業権者であつた鋼管鉱業との間に、右朱沼部分を含む大仁郷沢一帯の鉱区の帰属について前記紛争が生じた。当時、宍戸鉱業は資金難にあつたため、昭和三〇年五月頃別会社として栗駒鉱業が設立され、栗駒鉱業が原告らの鉱業代理人として朱沼部分の採掘に当ることになつていたにも拘らず、栗駒鉱業は、鋼管鉱業と原告らの前記紛争継続中の同年七月、鋼管鉱業より前記秋田試登第一七、五五一号の試掘権を譲受け、原告らとの間の鉱業代理人に関する契約を一方的に破棄し、係争の朱沼部分を自己の鉱区に属するものとして昭和三〇年七月頃から採掘を開始するに至つた。

(2)  被告は、宍戸鉱業と昭和二八年頃から二九年末頃迄本件第一現場の鉱石について取引を行つていたところ、宍戸鉱業から栗駒鉱業が分離設立されたのち、昭和三〇年七月頃から住友商事株式会社が栗駒鉱業から本件第二現場(朱沼)の鉱石を買つていたが、原告らから本件鉱区の鉱業権者は原告らであるから栗駒鉱業から鉱石を買わないようにとの抗議を受けたこともあつて住友商事との取引は間もなく中止され、昭和三一年春より、住友商事に代つて被告が栗駒鉱業と第二現場の朱沼付近から採掘される鉱石の売買取引を開始することになつた。これを知つた原告小山田は、同年六月二八日到達の書留郵便で、被告の鉱石関係の事務担当者である石井正弘に対してて、被告と栗駒鉱業との取引につき警告を発した(右書留郵便の内容は、原告らが、前記表示変更処分による境界を極力争つていること、当時は、栗駒鉱業は未だ右表示変更処分による朱沼部分の境界線までは掘り進んでいなかつたこと等を考えると、盗掘品買い受けについての抗議とは認め難く、右表示変更処分による境界そのものがいまだ係争中であり、従つて、朱沼部分から採掘される鉱石の全部についてその帰属に問題があるから買い受けを見合わせられたい、旨の警告であつたと推測される。)。

しかして、商社である被告会社が鉱山業者から鉱石を買い入れてこれを製鉄会社に転売する場合には、製鉄所側の年間計画に従つて継続的に一定量の鉱石を供給する必要があるため、製鉄所側で鉱床の埋蔵量等につき調査する一方、被告においても、自ら、鉱業原簿、鉱区図、現場立会等による鉱山業者の権利の有無、鉱床の状態、推定埋蔵量、品位等の調査、取引先の信用調査等を行つて取引の確実性、採算について検討するのが通常であり、右のように原告小山田から警告の書面をも受け取つた以上、本件鉱区の鉱業権者が誰であるかは充分調査を了して取引を開始すべきものであるが、本件において、被告は、宍戸鉱業と栗駒鉱業が、対外的、実質的には同一視されており、また宍戸鉱業とは昭和二五年頃から、北海道での砂鉄について取引があつたので、栗駒鉱業と本件取引を始めるに当つては、格別、栗駒鉱業の信用調査とか、現地における境界の確認とかはこれをしなかつた(鉱業原簿と鉱区図を検討したであろうことは容易に窺うことができる。)が、取引開始後である昭和三一年八月末になつてやつと、本件取引担当者の一人である小森経明を現地に派遣したものの、同人は、栗駒鉱業社長立川正等の立会、説明のもとに、本件朱沼の採掘現場の概況、推定埋蔵量、搬出方法、経済性等につき調査を行つたに過ぎなかつた。

その頃、既に、栗駒鉱業では、前記仙台通産局長の表示変更処分による境界線は朱沼の東方を通過するとの解釈のもとに、これと平行に五米西側以内の地で採鉱する予定を立て秋田営林署に借地申請をしてその許可を受け、着々と採掘を続けていたものである。

次いで昭和三二年六月上旬、原告小山田は現地において、栗駒鉱業が、右表示変更処分による境界線上の別紙図面B点付近を東方原告らの鉱区に向かつて採掘準備をし、更に越境せんとしているのを目撃し、直ちに被告会社東京支社に赴き、銑鉄課長長谷川貞典に対して現地の状況を説明したうえ、盗掘品であるから買い入れを中止されたいと口頭で申し入れをしたほか、同年九月中に再び現地において明確に侵掘を確認し、同月中に数度にわたり、自ら、又は原告小山田の代理人たる訴外秦野保、同森田稔をして、被告会社東京支社において、銑鉄課長代理飛木恒夫、経理部次長小川百夫、経理部管理課長田中豊一等に同趣旨の申し入れを行つた。更に、その頃、被告の本件鉱石の転売先である富士鉄の山本副社長購買部原料課長松田信に対して、原告小山田または小山田の友人桑村剛次郎から被告との取引停止方等を要請しまた栗駒鉱業が侵掘をやめたのちの昭和三三年九月二二日および一〇月一六日付の書面で被告に対し、盗掘品を買い入れ処分したことについて補償を要請している。

(3)  原告らと栗駒鉱業と双方の鉱区図を一見すれば、図面上双方の鉱区の境界線が朱沼のほぼ中央を分断して走つていることは素人にも容易に判読できるところであるから、朱沼の鉱床から鉄鉱石を採掘するとなれば原告等の鉱区に侵掘する虞れの生ずる場合があることは当然に予想されるところであるにも拘らず、被告は、右原告小山田からの警告、抗議について、栗駒鉱業に問い合わせて、「境界は間違いない」旨の回答を得たのみで、それ以上調査することもなく、昭和三三年九月まで栗駒鉱業との取引を続け、その間、昭和三一年四月頃から三二年四月頃迄の間に、栗駒鉱業を連帯保証人として宍戸鉱業に三、三五〇万円の資金を貸付け、昭和三二年一〇月一九日栗駒鉱業の鉱業権(第三目録の鉱業権)に対し、右債務について抵当権設定登記を受けたこともあつた。そうして、原告小山田から昭和三三年九月二二日付の書面による「盗掘補償」の要求を受けるに至つてはじめて、前記小森をして事実調査のため現地に赴かせたものである。

以上のとおり認められる。証人小森(第一、二回)、同中村、同飛木、同武田、同田口、同須見(第一・二回)の証言中右認定に反する部分は信用できず、その他に認定を左右するに足る証拠はない。

しかして、右認定事実に徴すれば、被告は、栗駒鉱業から買い受けの鉱石中に原告らの鉱区から採掘されたものも含まれていたことを知つていた(未必的にもせよ)のではないかとの疑も存し、仮りに、原告らの鉱石が含まれていることを知らなかつたにせよ、昭和三一年六月以来度重なる原告小山田よりの警告や抗議によつて、すでに、原告らの鉱石を買い受ける結果となつた昭和三二年七月以前に、採掘現場の境界に関して紛争があること、ないしは栗駒鉱業が侵掘し、被告がその鉱石を買い受けることになる可能性のあることは十分にこれを知悉していたものといわざるを得ない。かかる場合、被告においていやしくも侵掘にかかる鉱石を買い受けて、原告らの権利を害する結果に至らぬよう、直ちに鉱区図と現場とを対照し、または現地において双方鉱業権者の立会を求める等の方法で境界を確知し、場合によつては当初の契約を変更ないし即時停止する程度の注意は、取引上当然要請されるものといわねばならない。被告にして右のような措置をとつたなら、少くとも前記表示変更処分による境界が、朱沼の中央付近を通過していることを発見し、栗駒鉱業の採鉱予定範囲、従つて栗駒鉱業より買い受ける予定の鉱石の一部が原告らの鉱区に属するものであることを事前に確知することは、さして困難であつたとは思えない。

ところが被告は、単に従来の栗駒鉱業ないし宍戸鉱業との取引関係(それも、他県又は明らかに別の鉱床の鉱石に関するものである。)の上に安住し、または、「境界は間違いない」旨の栗駒鉱業の一方的な説明のみに耳をかして原告らの抗議には一顧だに与えずに取引を続け、前判示どおり、原告らの所有に帰した七、〇〇〇湿量トンの鉱石を買い受けてこれを即時富士鉄に売却処分し、富士鉄はその頃、釜石製鉄所においてこれを製錬処分したものであつてみれば、本件において被告のとつた右の措置は、軽卒のそしりを免れないであろう。被告は、本件鉱石を栗駒鉱業のものと確信して買い受けたのであるから、買い受けと同時に所有権を取得した、と本件鉱石の即時取得を主張する。しかし、すでに本件においては、前記判示のように被告はその鉱石の占有取得において、栗駒鉱業が権利者でないことを知り、そうでないとしても少くとも権利者であると信じたことにつき過失があつたと認めるべきであるから、即時取得の要件も成立せず被告の右の主張は理由がない。

そうして、客体たる鉱石が製鉄処分によつて消滅した以上、これによつて原告らは右鉱石の所有権を失つたものといわねばならないが、本件において、原告らの鉱石を、何ら処分権限のない栗駒鉱業から買い受け、更にこれを富士鉄に転売したという被告の行為によつては、原告らは未だ法律上右鉱石の所有権を失つておらず、従つて、被告の右行為は、原告らの所有権喪失に対する不法行為とならないかにみえる。しかしながら、製鉄会社は、まさに製錬処分するために原料材たる鉄鉱石を買い受けるものであり、しかも前示認定事実(本項(2) )に照らせば、富士鉄は鉱石買い受け後、時を経ずしてこれを製鉄処分するものであること、被告もこれを十分知つていたことが認められる。かかる場合、(富士鉄の)製鉄処分は、(被告の)売却の当然の結果であるから、本件において被告が、他人の鉱石を権限なく富士鉄に売却した結果、富士鉄がこれを製錬処分した以上被告の行為もこれに共同加功したものというべきである。

してみれば、結局、被告は、原告らの鉱石七、〇〇〇トンを、無権利者たる栗駒鉱業から買い受け、更に富士鉄に転売することに因り、原告らの右鉱石所有権を喪失せしめたことになり、原告らはそのために後記認定の損害を蒙つたことは明らかである。しかして、右鉱石の買受・転売という一連の行為は、不法行為法上行為の一体性を有し、そのいずれかの段階において故意過失の存在する以上全体として不法行為を形成するものと解すべきであり、前示認定の経過に徴し、原告らが右のように鉱石の所有権を喪失し、損害を受けるに至つたことは、少くとも被告の鉱石買受の段階における過失に基くものと認むべきであるから、右損害は被告の不法行為に起因するもので被告においてこれを賠償すべき義務があるものといわなければならない。

(六)  (損害額)

そこで進んで、原告らの蒙つた損害額について検討すべきことになる。

被告は、損害額算定の基礎になる本件鉱石の価格としては、埋蔵状態における価格であると主張するが、本件鉱石は、すでに栗駒鉱業によつて採掘され、これによつて原告らの所有に帰したものであるから、右の被告の主張は理由がない。

もつとも埋蔵状態における価格が、山元の価格の意味とすれば、被告が買受けた価格を基準とすべきと言う主張である。然し、本件鉱石は釜石製鉄所に於て減失したもの故、特に鉱石が被告の如き商社を通じてのみ販売され、直接製鉄業者に販売されないものと言うのでなければ、被告の言うように山元価格を基準としなければならないものではない。

従つて、原告等が受けた損害としては、本件鉱石が富士製鉄の釜石製鉄所に於て製鉄処分された日時に於ける価格を標準とすべきである。そして、原告等は釜石に於ける鉱石の価格を標準としていて、これは富士製鉄へ転売した価格を基にしていることはその主張より明らかであるから、これは特別事情による損害をも併せ求めているものと解すべきである。しかして被告としては、本件鉱石が、前認定のその鉱区の位置、鉱石の種類、被告の営業並びに被告と栗駒鉱業(或は宍戸鉱業)との取引関係等よりして、富士製鉄釜石製鉄所に売却されるのが通常であることは当然予見していたものと認められる。従つて、原告らが受けた損害としては、富士鉄の購入価格から原告らが自ら採掘し運搬し、販売しなかつたことによつて出費を免れたものを控除した額と考えるのが相当である。

成立に争いのない乙第九号証の一、二、(原本の存在とも)同第一〇号証、証人小森経明の証言(第二回)によつて真正に成立したものと認められる同第一二号証の一ないし七、同第一三号証の一ないし一四、同第一四ないし一六号証の各一、二、同第一七号証の一ないし四、同第一八号証の一、二に、証人椎川誠、同小森経明(第一、二回)同田口克昭、同大熊康平の各証言によれば、栗駒鉱業の採掘した本件の鉱石は、平均一〇ないし一五パーセントの水分を含み、品位五三パーセント乃至五四パーセントのものと認められ、最大値の一五パーセントの水分を控除した乾量トンに換算すれば、前記原告らの失つた鉱石七、〇〇〇湿量トンは、五、九五〇乾量トンとなること、被告と栗駒鉱業の本件鉄鉱石の取引については、採掘現場の貯鉱場から、国鉄十文字駅までのトラツク運賃、集荷料、十文字駅から被告の転売先への引渡場所である釜石駅側線までの鉄道運賃、貨車積込取扱料等訴外日本通運株式会社に支払うべき運賃諸掛は栗駒鉱業の負担とする取り極めであつたが、実際には被告がこれを全部立替払いしし、栗駒鉱業には鉱石代金だけを被告から支払つていたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠は他に存在しない。

しかして、昭和三二年七月より三三年九月までの間、栗駒鉱業と被告との右鉱石五、九五〇乾量トンを含む鉱石一〇、六四二・〇九乾量トンの被告の購入金額は金二〇、二九八、〇九四円、富士鉄への販売金額は金四一、四八二、七〇五円であり、その運賃諸掛が金二〇、一二〇、四〇〇円を要したことは当事者間に争いがないから、鉱石一乾量トン当りの運賃諸掛は金一、八九一円弱(原告らは金一、八九一円と自陳している。)で、富士鉄の買入金額は一乾量トン当り平均金三、八九七円九〇銭強(銭以下切捨)であることは計算上明らかであり、被告が富士鉄に売却した当時の本件鉱石の運賃諸掛を差し引いた一乾量トン当りの代価は金二、〇〇六円九〇銭となることが明らかである。

尤も、甲第二二号証の一、二乙第一二号証の一乃至七、第一三号証の一乃至一四によると、昭和三三年六月以降と昭和三三年五月以前とに於てはトン当り一〇〇円の相違があることが認められるが、これは鉱石の品位五〇パーセントを基準とした価格を基にしたものであつて、本件の如く前認定の通り品位五三パーセント乃至五四パーセントの鉱石の価格は、乙第一二号証の一乃至七によつても夫々五〇パーセントを超える部分については単価が一パーセントにつき七〇円割増しになることが認められ、且つ、昭和三二年七月から昭和三三年九月迄に前認定の通り一〇、六四二・〇九トンが被告より富士製鉄に売られ、本件係争鉱石はそのうち五、八五〇トンであり、その他は本件係争部分以外より採掘された鉱石であり、乙第一三号証の一乃至一四によるとその平均品位は五〇パーセント乃至五二パーセントであるので、本件鉱石一トンの価格は、富士製鉄購入総額を売渡し総トン数で割つたものより上回ることは明らかである。従つて、前記一〇〇円の相違は本件鉱石の価格を右平均値で求めた価格とするに於ては影響がないものと認められる。

証人須見勉の証言(第二回)によれば栗駒鉱業が右鉱石販売までに要した費用は、最大限、各一トンにつき、人件費(採鉱人夫および事務関係)三〇〇円、人夫宿泊費四五円、火薬、採鉱道具費等一〇円、山元事務所経費五〇円、道路補修費一〇〇円、採鉱敷地借受料三円合計五〇八円となることが認められる。原告小山田本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は採用できず、その他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

しかして、右に認定した本件鉱石の価格金二、〇〇六円九〇銭から栗駒鉱業の出費した山元諸経費を差し引いたものが、とりもなおさず、昭和三二年七月から三三年九月までに原告らの失つた損害であると認められるが、右山元諸経費については、原告らにおいて金六〇〇円を要することを自陳しているので、結局原告らが本件鉱石の所有権を喪失したことにより蒙つた一乾量トン当りの損害は、右鉱石価格金二、〇〇六円九〇銭から山元諸経費金六〇〇円を控除した金一、四〇六円九〇銭であり、前記五、九五〇乾量トン全部では金八、三七一、〇五五円となる。

(七)  ところで前認定の通り原告等は共同鉱業権者で鉱業権を共有するものであるから、原告等は組合を形成しているものである。従つて特別の事情のない限り当該鉱業権は原告等の合有となり、即ち組合財産を構成するわけで、その採掘に係る鉱石も亦組合員の合有となるものであり、この減失による損害賠償債権も原告等の合有になるものである。

本件に於て原告等は持分平等の割合に応じて請求している。従つて原告等は本件損害賠償債権を合意の上平等に分割したものと認める。

(八)  (むすび)

してみると、被告は各原告に対し、右損害額金八、三七一、〇五五円の半額弱宛である金四、一八五、〇〇〇円、およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三四年五月三日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることが明らかである。

よつて、原告らの本訴請求は、第二次的請求について判断するまでもなく、全部正当としてこれを認容すべきであり、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡田辰雄 吉永順作 荒井史男)

別紙

目録

第一、秋田県雄勝郡東成瀬村大字椿川地内

秋田県試掘権登録第一七、一八一号

(硫黄硫化鉄鉄鉱、三、八〇五アール)

同所

秋田県試掘権登録第一七、一八二号

(前同 二二、一八七アール)

第二、同所

秋田県採掘権登録第九三二号

(前同 一〇、八九六アール)

第三、秋田県雄勝郡東成瀬村大字椿川、岩手県一関市地内

秋田県採掘権登録第八六五号

(鉄鉱 六、九九四アール)

栗駒山鉄鉱石取引明細<省略>

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